酒精雑記

飲む日も飲まない日も

『海も暮れきる』

2月5日 ヱビス350×1

2月6日 休肝

2月7日 ヱビス350×1

2月8日 ヱビス350×2、赤ワイン×3

2月9日 ヱビス350×1

2月10日 生ビール×2、紹興酒1.5合、スパークリングワイン1/2杯、白ワイン×2

2月11日 ヱビス350×1、日本酒1.5合

2月12日 休肝

2月13日 ヱビス350×1

2月14日 ヱビス350×1、赤ワイン×2

一応週1ペースでは休肝日が入っているのでよしとしよう。

数日前に、吉村昭の手による尾崎放哉の最晩年を記録した小説を読み終えた。流れ流れて小豆島に人を頼り、移住して8ヶ月後に結核増悪で亡くなるまでの壮絶な最晩年の日々が、残された書簡の数々を中心とした裏付けに沿って描写されている。

放哉と言えば、とにもかくにも「咳をしても一人」である。句の印象から、世俗を避けて静かな孤独の日々を送る俳人と思い込んでいたが、アルコール中毒で周囲に散々迷惑を掛けながら、俗にまみれた手紙を出しまくっては無心を繰り返していた経緯を知り、枯淡の味わいと勝手に誤解していたこの代表句の業の深さをも知ることとなった。放哉の我が儘に振り回されながらも、その晩年を看取った小豆島の関係者の情の深さがこの小説の救いであり、読みどころであろう。

作者である吉村にも、青年期に結核で死線をさまよった経験があり、放哉の人生にはことのほかの思い入れがあったことが、あとがきに記されている。すでに世を去った吉村の人生の終わり方を知ってこのあとがきを読むと、最後の行為の決断は、おぼろげではあるとしても既に若き日のうちに下されていたのだろうと、つい考えてしまう。