酒精雑記

飲む日も飲まない日も

史実とエンタメ

昨日に続いて『ボヘミアン・ラプソディ』の感想をもやもやと考え続けている。

オリジナルメンバー2人が監修に参加し、監督や主演もいろいろあってすげかえになった後の完成形があのシナリオだったとすると、ああした脚色は現にメンバーの希望するところだったということか?

場面はウェンブリーではなかったにせよ、HIV感染を知り、死を意識したフレディとともに演奏をしたことが現にあったメンバーなら、時期の違いはあれ、あのシーンはある種の事実の再現だと受け止めたのか?

何よりフレディが、そしてクイーンというバンド自体が、パフォーマーであることを大切としていたのなら、その伝記がもっともエンタメな形に脚色されることは望むところだったのかも?

でも映画としてのアラを楽曲の力で押し切ったズルさは、うーん、否定しがたいか…

もやもやは続く。

 

昨日の酒量 休肝