酒精雑記

飲む日も飲まない日も

7月から今日までのふりかえり

7月の休肝日は12日で、8月は13日。ビールの恋しい時期ではあるが、例月どおりの飲酒ペースを維持できた。まずまずの節制ぶりといえよう。

 

読書のペースは進んだり進まなかったりという感じの2ヶ月強であった。

村上春樹雑文集』

頼まれた挨拶とかJAZZ評とかのごたまぜの文庫。どんなことを考えて小説を書いてきたのか、これを読んで初めて理解できた。小説の役割を再確認できた好著。

風の歌を聴け

ということで、実家に置いてあったデビュー作を読み返してみた。最初の一作にすべてが包含されているというのは確かにそうかも。

『見るレッスン』

蓮實重彦御大の最初にして最後の新書ということらしい。これくらいわかりやすく解説してもらえると、浅い映画ファンである私でも栄養にできそうだ。

『新釈走れメロス他四編』

桜の森の満開の下」が良かった。といっても安吾を読んだことはないのだが。

『草にすわる』

ノーベル文学賞がもらえるかもしれないくらいのポジションまで上り詰めた作家の下世話な心情を書いた「砂の城」が面白かった。心の穴で型取りすれば同じような小説を量産することになるという趣旨の指摘(うろおぼえ)があったが、小説が生まれるプロセスについての大変辛辣にして秀逸な解説だと思った。

『月と雷』

社会のタガから外れた世界で育った男女の物語。社会常識を金科玉条とする人生は楽しくないが、かといってスナック菓子をごはんにして成長するというのもどうかと。美味しいものをきちんと食べることは大事であることを再確認。

『映画評論家への逆襲』

新聞書評に書かれてるほどには蓮實新書を意識した内容ではないが、語り手の何人かは、蓮實重彦?何それ喰った事ねえな、という感じであり、何とも清々しい。作り手の側から映画を考えるという視点を示す一冊。監督の前に脚本が先というのは、言われてみればたしかにそうだ。

『静かな雨』

映画を観た後に原作が読みたくなって取り寄せた一冊は、宮下奈都のデビュー作であった。最初からこんなのが書けるってすごい。

 

映画は8月に新しいプロジェクタを購入したので、ちゃんと映写して観ることができるようになった。液晶画面もお手軽でよいが、やっぱり映画はスクリーンが一番だ。

『めぐりあわせのお弁当』

インドというかムンバイの壮絶精緻なお弁当お届けシステムの下で、ありえないとされる誤配がきっかけとなって繰り広げられる、寡夫と人妻の真面目な恋愛模様。姿の見えない上の階のおばあちゃんからの料理指南も楽しい一作。

『さらば愛しきアウトロー

蓮實重彦推奨のデヴィッド・ロウリー監督の一作。年を重ねたロバート・レッドフォードにはビンテージな滋味があまり感じられないが、御大指摘のとおり、90分で映画は作れるということがよく分かる作品だった。

『旅の終わり世界のはじまり』

ウズベキスタンの街中を前田敦子が歩き回る映画。これも御大推奨作品ということで観てみたが、染谷将太演じるTVディレクターのクズっぷりがあまりにクズすぎて、ちょっと引いた。旅先における主人公の成長譚のはずだが、見知らぬ中央アジアの街であんなに出歩けるのはもともとタフな人なのだろう。ヤギのエピソードも今ひとつだが、山脈を望む峠における「愛の賛歌」独唱は悪くなかった。

華麗なるギャツビー

「ドライヴ」のシングルマザー役がはまったキャリー・マリガンが、なぜか本作では全然魅力的でなく、彼女への想いであの豪邸を建てるというところの説得力がいまひとつ。貴族的な顔立ちではないからか。もともとフィッツジェラルドの小説への思い入れがない日本人としては、うーんどうかなという感想しか残らなかった。戦前米国のバブル乱痴気騒ぎの実写化としては相当に秀逸。

『イエスタデイ』

エド・シーランって誰という私のような音楽に無知な人には先に予習することをお勧めする。リリー・ジェームズのさばけた感じがキュート。

ノマドランド』

フランシス・マクドーマンドのハードボイルドな車上生活を淡々と見守る映画。出てくる人はほぼみんな本物のノマドな方とか。亡くなった人のところはどうかフィクションであってほしい。

マンチェスター・バイ・ザ・シー

イギリスの話かと思っていたら車が右側通行で、ボストン近郊の港町の話であることを知る。設定が重たすぎるフィクションにはあざとさを感じてしまうのでちょっと苦手だが、人の傷は簡単には癒えない(けど希望がないわけでもない)という結末はよかった。アメリカンな甥っ子にいまひとつ惹かれないところが難点か。

『家へ帰ろう』

ナチスに家を追われたテーラーの少年が、人生終末期にアルゼンチンからポーランドの旧友を訪ねるロードムービー。旅先の老人が次々と妙齢の女性と仲良しになるという都合の良さに目をつぶってもよいと思える佳作であった。ときどきこうした作品に行き当たるのでアマプラもあなどれない。

『静かな雨』

あのチョロの息子がこんな立派な役者さんになったのねという関心で見始めた本作。こよみ役が西武源田の妻にして元乃木坂の人ということを見終えてから知った。リスボンのエピソードと付箋の話がリンクしていることに原作を読むまで気がつかなかったのは不覚。それなりに大きな要素となっている行助の家族の話をスパッと捨てた脚本がとても潔いものであることには、原作を読んでみて気がついた。

『君が世界のはじまり』

脚本家が「リンダリンダリンダ」や「もらとりあむタマ子」を書いた人ということで観てみた。女子高生役の3人がそれぞれに良い。

『わたしは光をにぎっている』

中川龍太郎監督による松本穂香主演作ということで、上記2作の流れで観てみた。葛飾区は立石界隈の風情がなんともいい味だが、こうした街が消えるのも防災の観点からはやむなしか。才能という武器が1つもない「魔女の宅急便」として製作されたと知り、なるほどと思う。エンディングのカネコアヤノの歌が何とも癖になる味わいで、ちょっと路線違いではあるが小島麻由美を思い出した。

 

さて最後に。

我が中日ドラゴンズの低迷振りは引き続き目を覆わんばかりだが、ようやくここにきて渡辺勝が2番に定着しそうなのはめでたいことだ。ただ彼も27歳。20歳前後の有望株では土田(とバイプレーヤー高松)の起用に留まっており、何とも淋しいところだ。2軍内野陣のやり繰りが回っていないために、石岡・石垣あたりを上で使えないのは全く本末転倒である。偏頗な編成に長年あぐらをかいてきたフロント陣に猛省をうながしたい。

残り30数試合。CSラインがおそらく67~68勝あたりとなりそうで、どう考えても思い切って若手育成に舵を切るべきだろうが、なんとも中途半端であるため、紙上観戦にも力が入らない日々が続く。頼むからなんとかしておくれ。